最高裁判所第二小法廷 平成4年(オ)1598号 判決 1994年7月18日
上告人
木村スチール工業株式会社
右代表者代表取締役
木村光吉
右訴訟代理人弁護士
高田正利
被上告人
府川三郎
同
府川八百子
右両名訴訟代理人弁護士
渋谷徹
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人高田正利の上告理由第一、第二について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
同第一、第三及び第四について
土地の賃貸借契約において、適法な転貸借関係が存在する場合に、賃貸人が賃料の不払を理由に契約を解除するには、特段の事情のない限り、転借人に通知等をして賃料の代払の機会を与えなければならないものではない(最高裁昭和三三年(オ)第九六三号同三七年三月二九日第一小法廷判決・民集一六巻三号六六二頁、最高裁昭和四九年(オ)第七一号同四九年五月三〇日第一小法廷判決・裁判集民事一一二号九頁参照)。原審の適法に確定した事実関係の下においては、賃貸人である府川聞一(被上告人らの先代)が、転借人である上告人に対して賃借人である増永正行の賃料不払の事実について通知等をすべき特段の事情があるとはいえないから、本件賃貸借契約の解除は有効であり、被上告人らの上告人に対する建物収去土地明渡請求を認容すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官木崎良平の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官木崎良平の反対意見は、次のとおりである。
私は、多数意見とは異なり、本件のように建物所有を目的とする土地の賃貸借において、賃貸人が転貸を承諾し適法な転貸借関係が存在している場合に、賃借人が地代の支払を遅滞したことを理由として賃貸借契約を解除するには、賃貸人は、賃借人に対して地代の支払を催告するだけではなく、転借人にも地代の延滞の事実を通知するなどして右地代の代払の機会を与えることが信義則上必要であり、転借人に右通知等をしないで賃貸借契約を解除しても、その効力を転借人に対抗することができないと考える。その理由は、次のとおりである。
建物所有を目的とする土地の賃貸借において、適法な転貸借関係が存在する場合には、通常は、転借人が当該土地上に建物を所有して建物を占有しているのであって、その実態に即して転借人の権利の保護が図られるべきであり、転借人が建物収去土地明渡しを余儀なくされるという重大な結果が不当に生ずることがあってはならない。賃貸借契約が解除された場合に、賃貸人が賃貸借契約の消滅の効力を主張して賃借人に対して建物収去土地明渡しを請求することができるかどうかを判断するには、右の観点から慎重に検討すべきであって、転借権が土地賃借人の賃借権の存在を前提とするものであるから賃借権の消滅により転借権が消滅するといった形式論のみによって決すべきではない。そして、右の観点からすると、賃貸人にとって、転借人に地代が延滞していることを通知することは容易なことであり、しかも、多くの場合には、この通知等によって延滞地代の支払が期待し得るのに、あえてこれをせずに賃貸借契約を解除し、転借人に建物収去土地明渡しを請求することを認めることは、転借人の地位を不当に軽んじるものであって、公平の原則ないしは信義誠実の原則に反するものというべきであるからである。
また、多数意見のように解すれば、賃貸人と賃借人とが意を通じて、実際には賃貸借契約を合意解約する意図であるのに、合意解約の効力を転借人に対抗できなくなることを避けるため、あえて地代の延滞という状況を作出し、地代の延滞を理由に契約を解除した場合にも、転借人は、右の事情を主張立証しなければ解除の効力を争うことができなくなり、なれ合いによる合意解約によって転借人の権利を消滅させるのと同一の不都合な結果が生ずることも避けられなくなる。
したがって、転借人に右の機会を与えないでされた契約解除の転借人に対する効力を認め、被上告人らの上告人に対する明渡請求を認容した原判決は破棄を免れず、被上告人らの上告人に対する請求を棄却すべきである。
(裁判長裁判官木崎良平 裁判官中島敏次郎 裁判官大西勝也 裁判官根岸重治)
上告代理人高田正利の上告理由
第一 原判決には、
1 審理不尽または釈明権不行使の違法
2 法令解釈の誤り
3 公の秩序等に反する違法
が存在し、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかな事柄である。
第二<省略>
第三
一、原判決は、その理由三、4の「転借人に対する催告または通知の欠如の主張について」において、賃貸人が賃借人の賃料延滞を理由として賃貸借契約を解除するには、賃借人に対してのみ催告すれば足り、転借人に対して右延滞賃料の支払いの機会を与えなければならないものではない、として、最高裁判所昭和三七年三月二九日の判決を示し、その理由を述べているが、そこに示された民法六一三条の規定の解釈は誤りであろう、と考える。
二、原判決は、「民法六一三条の規定も賃貸借または転貸借から生ずる直接の効果を定めたものではなく、法が特に賃貸人のために認めた権利であると解される。」という。
しかし、民法六一三条を素直に読めば、本来直接の関係のない賃貸人と転借人とをむすびつける転貸の効果を示したものであることは疑う余地がない(同条第一項)のであり、この条項によって賃貸人と賃借人と転借人は一個の準契約関係に入ったものとみるべきである。だから、同条第二項は本来の直接の契約者である賃貸人と賃借人の関係は影響を受けない、とわざわざ断っているのである。
惟うに、法の規定には、権利と義務とが必ず併存しているものと考えるべきである。そうであるならば、転借人が賃貸人に直接に義務を負う反面は、賃貸人は転借人に対し、その転借に影響のある行為をなす場合(例えば、賃借人に対する解除等)には、転借人に対しても催告もしくは通知をなす義務を課しているものと解すべきである。
三、この問題は、東京高等裁判所における審理中にも、上告人は縷々述べたところであり、同裁判所の判決も、賃貸人に催告もしくは通知義務を課したものではないと解すると、転借人の地位は極めて不安定であり、突如覆滅されることになるから、同情の余地がないではない、と述べているにもかかわらず、現行法の解釈としては右結論もやむをえないとして、転借人の救済は一般条項あるいは立法にまつべきである、としているのであって、その苦悩が察せられるのである。
要するに、下級審裁判所としては、いくら同情の余地があるとしても、前述のごとき最高裁判所の判決が存する以上、如何ともしがたかったのであろう。
四、本問題は、以前から学説上争いのある点であったが、次第に催告を必要とする説が勢力を増し、現在では、明確な多数説を形成するに至っている(有斐閣、民法講座5「契約」、「賃借権の譲渡・転借」三七三ページ〜、 注(九八) 三八一ページ)。
学説が変動するには、常に合理的な理由が存在する。最高裁判所の判例は、昭和三七年のものであり、何と約三〇年前の判例である。この三〇年の間、本件のごとき紛争において、転借人は、「同情の余地がないではないが、現行法の解釈としてはやむをえない」として救済されなかったのである。
五、ここで沈思黙考していただきたい。本当に、原判決のような結論でやむをえない、とするだけでよいのだろうか。星野博士の言葉を借りれば、「解除と合意解除とは、法律構成こそ異なれ、実際上は紙一重であり」、「合意解約が転借人に対抗出来ないとされた以上、解除についてもそうしないと、均衡を失し、いたずらに紛争を増加させる。」「故に解除も転借人に対抗できないと解される」のである(有斐閣、法律学全集二六、「借地・借家法」三七四ページ〜)。
そして、これを裏付ける解釈として、民法六一三条が役立つものと考えるのである。適法な転貸借がある場合に、賃料不払いを理由として契約を解除しようとする賃貸人は、転借人に対しても催告もしくは通知をしないかぎり、その解除を転借人に対抗できないと解しても、賃貸人に何ら不利益を増加するものでもないであろう。それに比すれば、旧来の最高裁判所の結論による転借人の地位は、あまりにも同情すべきであることが明確であって、法解釈論として、催告または通知必要説は十分に成り立ちうるのである。
第四
一、また仮に、民法六一三条の解釈としては、右の説明はやや無理があるとしても、原判決のごとき結論を認めることは、信義則に反し、権利濫用の原則に該当し、ひいては公序良俗に反することになって、結局、裁判所として審理を万全に尽くしたことにはならないものというべきである。
二、本件契約は、賃貸人府川聞一の黙示の承諾とはいえ、適法な転貸借なのであり、上告人は、現地に三階建、鉄骨造りの建物を所有している。しかも転借の初期において、上告人代表者の父親に対し、被上告人養母らは、本件土地を買い取ってもらいたいむねの話をしたこともあり、賃借人の賃料の一部も、転借人によって支払われていることが十二分に転貸人に分かっていると推察される本件において、賃料不払いを理由とする契約の解除の催告を、賃借人に対してのみなし、転借人に対しては秘していたという本件にあっては、いわば、被上告人が解除手続をとろうとしていることを上告人が知れば、当然賃料を支払ってくるであろうことを知っての上で、被上告人は、転借人には催告・通知をしなかったのと同様の事案というべきである。賃借人がしばしば不払いをしていたことを被上告人は分かっているのであり、それを府川聞一は認容してきたという事実からすれば、上告人に催告、通知をすることなく、上告人に秘して催告、解除をなした被上告人の行為は、賃借人が不払いをするようにしむけたのと、実質的には同様であるというべきであって、被上告人のなした本件解除は、まさに信義則に反したものというべきで、これを認めることは権利の濫用を認めることになり、この解除をもって被上告人は上告人に対抗出来ない、と解すべきである。
三、ところで、本件訴訟の内容を一〇名に近い素人の人々に説明し、転借人(上告人)に対する催告の要否を訪ねたところ、ほとんどの人は、転借人に対する催告がなければあんまりだ(上告人が可哀想だ)と答え、あるいは被上告人は、上告人がいることを知っているのだから、当然被上告人は上告人にも通知する義務があるのではないかと考えた。まれに法的知識のある人が、賃貸人と転借人との間には直接の契約関係がないから、転借人にとって気の毒なことが生じても仕方がないという答えをした。まさに、法を知ることが、常識的判断と異なる答えを出させる良い見本となったのである。
世に、民の声は天の声という言葉がある。本件において、民の声というべきものは、転借人は賃貸人から催告を受けて、賃料支払の機会を与えられるべきである、ということであると信ずる。そして、それこそが天の声、すなわち、裁判所の判断とされるべきである。
四、前述の最高裁判所の判例も三〇年の月日を経ており、その間の社会の変化は目をみはるものがある。法律のみが旧態以前としていてよい筈がない。
そして、本件の適切な解決を示すことが出来るのは最高裁判所であり、最高裁判所のみがこれをなしうるのである。
願わくば、最高裁判所において、世人の支持を得、学説上多数説となっている転借人への催告または通知の必要なことを判決において示して頂き、原判決を棄却し、さらに原審差し戻し、あるいは自判の判決を下されるよう切に願うものである。